2021年7月3日土曜日

吉備津神社- 岡山県岡山市 

 岡山県岡山市北区吉備津931にある吉備津神社です。

(ちなみに2020年1月中旬に訪問した時の記事です)

吉備津神社とは別に吉備津彦神社もございますので、お間違いなく!!

吉備津神社は言わずが如く、桃太郎のお話のもととも云われる、温羅退治のお話が伝わっている神社です。

吉備津彦の温羅退治は、昔からのこの地に伝わる神話で、桃太郎の童話は、この神話がもとになったとも言われています。

吉備津神社には矢立神事や鳴釡神事、吉備津彦の凱旋を豪勢なお膳で祝ったと言われる

春と秋の七十五膳据神事などが祭事として今に伝わっています。


ここは駐車場もありますし舗装されてます!


境内案内図の近くにこんな看板も!!

「定」ですって~神聖な場所だから木も切ったらだめなんですかね?

はい、境内入口から登って・・・
立派な仁王門もお待ちかね!って撮れてないけど(笑)

吉備津神社は1200年もの歴史があるみたいですね~



鳴釜神事って何かと思い調べてみました

「鳴釜神事」は吉備津神社の、今も行われる伝統的な神事で、その起源は温羅退治のお話。大吉備津彦命は温羅の首をはねましたが、首は大声をあげ、唸りが止むことはありませんでした。
 それではと骨だけにしても唸り声は鳴り響き……やむなく吉備津神社の御竈殿(おかまでん)の釜の下に埋めてしまったそうです。しかしそれでも声は止まず、近郊の村にまで届いていたのだとか。
 困り果てていた命(大吉備津彦命)の夢枕に温羅の霊が現れ、「自分の妻に釜を炊かせなさい。
 世の中に何かあれば、私の釜の前に来てみよ。幸あればゆたかに、禍あれば荒々しく釜を鳴らそう。吉凶を示し、市民に懲罰を与える」と言いました。命がその通りにすると唸り声は収まり、これが鳴釜神事のはじまりと言われています。
 その名の通り、釜が鳴った音の大小長短で吉凶禍福を判断します。


歴史文献にも鳴釜神事は登場しております。


ちなみに御釜殿で神事を行ってくれる女性のことを「阿曽女」(あぞめ)と言います。
元々は温羅の寵愛した女性とされ、実際に「阿曽」という地名出身の女性が代々ご奉仕しているのだそうです!
  また、御釜は60年に一度鋳替えるそうなのですが、その釜も阿曽の鋳物師が作ったもの。吉備津神社ではお茶の作法のように作法が代々引き継がれており、そのおかげで、令和の時代の我々も神事を受けることができるのです。ちなみに、結果に対し、阿曽女も神職も何も言いません。神事を受けた人が自分で考えることも、作法のひとつと言えます。



第16代仁徳(にんとく)天皇が吉備国へ行幸してこられた。当時このあたりを治めていた豪族、御友別(みともわけ)は、一族を引き連れて仁徳天皇を歓待し、昔この地を統治された大吉備津彦命の功績をお伝えしたという。
その後仁徳天皇は、大吉備津彦命の霊夢を見られた。これをお告げと受け取った仁徳天皇は、大吉備津彦命の業績をたたえる神社を建て、現在の境内地に5つの社と、吉備国に72の末社を創建なさったそう。
こうして、吉備国の祖神として大吉備津彦命を崇めたのが、吉備津神社の始まりだ。

伝承は諸説あり確かな創建は不詳だが、承和14年(847年)には『続日本後紀』に名前が登場しており、この時すでに朝廷から信仰されていたことが分かる。

しっかし、桃太郎伝説の始まりといい、その首をはねでてきたのが鳴釜など、なんかよーわからんとこです。
歴史と言うのは、美化されすぎており何が真実なのかもわかりませんよね(;^_^A










2021年5月9日日曜日

王子が岳-岡山県玉野市

 岡山県玉野市渋川4丁目市ある「王子が岳」です。
ここは、ニコニコ微笑んでいる岩が海を眺めて鎮座しています(笑)


地図は駐車場を指しています。

ここへのアクセスは、山を登っていくのですが、片側一車線ずつありますので、快適にワインディングを楽しめると思います。

駐車場も下の駐車場と上の駐車場があります。

↓は上の駐車場に止めました。

駐車場に止めてすぐこんな景色が飛び込んできます!


ここから見える山々(島々)は看板に記載あります。

さてさて、ここから徒歩ですが、上にはパークセンターと言うのもあるみたい。

歩いて6分ぐらいのとこで、パークセンターにつきます。
ニコニコ岩を目指すなら、このルートでなくても行けますが・・・
とりあえずどんなのか見とこうと(笑)
パークセンター建物の上にも上れ、景色を眺める事ができます。
私らが行くとこいつも雨なので・・・
暗雲が立ち込めてますが(笑)
まるで映画のワンシーンみたい( ̄ー ̄)ニヤリ
遠くにポツンと出てるのが、ニコニコ岩です。

こんな景色も拝めます。

ちょいと冒険心が( ̄ー ̄)ニヤリ
岩の谷間に入ってみましたが、断崖絶壁(;^_^A
目指す場所も段々と近づいてきてますが・・
休憩しながらね(笑)
ここまででパークセンターから14分かかってます。

目的地のニコニコ岩です!
パークセンターから15分
駐車場からだと20分ぐらいでしょうか。
アップダウンがあるのできついですが(;^_^A
間近にみると、より一層微笑んでるじゃないですか!!

ちなみにニコニコ岩の前も座れるようなこんな岩があるのですが、結構怖いですよ(笑)

被写体は、先に上っていた、女の子二人組で、彼女らのカメラで撮ってほしいとお願いされたので、ついでに被写体になってもらいました。

2021年4月29日木曜日

宇野のチヌ/宇野コチヌー岡山県玉野市

 岡山県玉野市築港1丁目1−4にある「宇野のチヌ/宇野コチヌ」です。
宇野港周辺の沿岸や児島湖で拾い集めたゴミ、漂流物を使ってチヌのオブジェがあり、世界の各地から海を渡って瀬戸内に漂流した廃棄物が新たなフォルムとなり、アート作品として宇野港に展示されています。





結構細部にわたって詳細に作られてます(笑)
おそらく、クワガタの浮き輪なんでしょうね~

こちらはUFOでしょうか~


こっちは子チヌ?
滑り台になってます!


ちなみに私は体が入りませんでした(´;ω;`)ウゥゥ

因みに、駐車場はありません。
サイトのほうには、近くのコインパーキングをご利用ください。
とかいてありましたよ~

こちらの天気は「ウエザーニュース玉野市」を参考にしてください。


2020年12月28日月曜日

引田城址・城山展望台・引田鼻灯台-香川県東かがわ市

 香川県東かが市引田にある、「引田城址・城山展望台・引田鼻灯台」です。

香川県の東のほうに位置する場所で、近くに「東かがわ市大池オートキャンプ場」・「田の浦野営場」とかもあります。




 引田城は、東かがわ市引田の北側に岬状に突き出した城山(標高82m)の山頂に築かれています。



結構な道を昇っていかなければなりません(;^_^A

少し上ると開けた場所に!なかなか見晴らしがいいです!



ちょっとしたの心遣いも(笑)



15分くらい登ったら城址まで到着します。
15分の昇りって結構つらいです(;^_^A

引田城址 本丸



本丸は、引田の「町(マチ)」から最もよく見える位置にあり、城主の権力を示すのに適した場所です。









 文献資料上、引田城に関わる記述がみえるのは、江戸時代編纂の軍記物語『南海通記』にある応仁年間(1476~69)に寒川氏が領したとあるのが初見です。戦国時代には阿波三好氏と攻防があり、引田城の城主は四宮氏、矢野氏など何度も変わりました。

 戦国時代の終わりごろの天正15年(1587)に播磨国赤穂(兵庫県赤穂市)から豊臣秀吉の家臣である、生駒親正が讃岐国を治めることとなりました。生駒氏は讃岐国支配の拠点とする高松城と並行して、慶長年間(1569~1615)に西讃地方の支城として丸亀城、東讃地方の支城として引田城を築きました。

 現在の引田城址には生駒氏が築いた自然石を積んだ野面積の石垣が残っているほか、建物の礎石やたくさんの瓦がみつかっています。この技術は、織田信長の安土城築城から始まり、信長・秀吉方勢力によって築かれた、織豊系城郭と呼ばれるものの特徴です。

 高松城や丸亀城は城主が替わったことや市街地の開発のため改変されていますが、引田城址には築城時の石垣が残っており、石垣の年代の指標と成りうる貴重な城跡と評価できます。

(現地案内板より)


上段の円形の石積みは、引田城址のある城山が大正12年(1923)に久邇宮良子殿下(昭和天皇皇后)の行啓予定地となったため築かれた展望台跡です。
 城山一帯は、大将時代から昭和時代の初めに引田城山公園として展望台や遊歩道が整備されました。
現在の遊歩道は築城当時のものではなく、公園化されたときに整備されたものと考えられています。


ここまで登るとまた見晴らしが抜群


本丸から6分ぐらい進むと灯台が見えてきます。
引田鼻灯台です。


灯台の先に回り込むと・・・

はぁぁ先っちょです!!

眺めも抜群!!