2020年10月30日金曜日

長者原-大分県九重町

大分県玖珠郡九重町田野255にある「長者原(ちょうじゃばる)」です。

タデ原湿原とか、くじゅう連山に登山する方が沢山いますが、ここには長者原ビジターセンターがあり、結構な駐車スペースがあるので、ツーリングの休憩場所にもなっている所です。


ここのほんのちょっと手前に「やまなみハイウェイ長者原看板」もあり、よくSNSであげられている場所でもあります。



ここの道も快適に走れます。
女性ライダー3人も疾走してました!!


10月下旬の紅葉の時期だったので、山の木々も綺麗に色づいてました!

また別府観光港からだと阿蘇にむかっていくのにちょうど一時間くらいのところです。


こんな朝日も~拝めたり、阿蘇に向かって行くに心を高めてくれますよね~


2020年10月21日水曜日

ライダーズカフェ明日香 加古川店

兵庫県加古川市加古川町粟津 字初辺90−2にある「ライダーズカフェ明日香 加古川店」さんです。
ここのライダーズカフェ、ほかのライダーズカフェと違い本格的な喫茶店!いやレストランって感じです。
外観もそうなんですが、初めて伺った時、いい意味でえ?ここ??って思いました。



でも、駐車場奥には、夏の炎天下を考慮した、屋根付きの駐輪所がありました!
赤い四角で囲んだとこですが結構広いんです!!

店内に入ると天井高の高い空間ですんごいリラックスできますし、初めて来店したお客には下の画像のようなキーホルダーもいただき、無事カエってという願いからでしょうね
ライダーを配慮したお店ってのが分かりました(笑)
お客はライダー以外も多数いたので、あまり撮影するのも失礼と思い。
食事の写真だけですが。
なんといっても接客が凄くいいし!
私は「とん勝定食」をいただきましたが、専門店なの?っていうほどコロモもサクサクですんごく美味しかったです!


また店内にはヘルメットやらいろいろ置いておりました。
その中に、女性ライダーがサーキットを走行している写真もあり、オーナーさんなのか奥様なのか不明でした・・・
でも食事が終わった頃、テーブルにオーナーお奥様らしき人がきて少し対談。
帰り際に動画とらせてくださいねって事でした。
支払いを終え外にいくと待ち構えておりましたが、話すると気さくな人柄で、20分近く外で話こんでしまってたでしょうか(笑)
もちろんご夫婦でバイク乗りらしく奥様は50代で免許を取得したとか!!

まーとにもかかくにも、とてもお気に入りのライダーズカフェになりました!
そんなライダーズカフェのHPもあるみたいです↓






2020年10月17日土曜日

鶴林寺-兵庫県加古川市

 今回は、兵庫県加古川市加古川町北在家424にあり聖徳太子と所縁がある「鶴林寺」です。

鶴林寺と言っても、徳島県勝浦町にある、四国八十八箇所20番ではございませんよ。

この鶴林寺は、平安時代建築の太子堂をはじめ、「あいたた観音」など多くの文化財を有し「西の法隆寺」とも称されている播磨地方有数の古寺であります。

ここは大人入場料500円必要です。

ちなみに手前に舗装された駐車場があります。




仁王門を入ると目の前に国宝の本堂がお目見え!!
 和様に禅宗様を加味した折衷様建築の代表作で、桟唐戸(縦横に桟を組んだ扉)を多用する点が特色ですね。美しいです。
 内部の宮殿には秘仏の薬師三尊像と二天像(各重要文化財)を安置しているそうです。
これも国宝の太子堂です。
建築もさることながら、この堂内には聖徳太子像が東側壁面に描かれており、中世から厨子で覆われ、秘仏扱いとされているそうです。


重要文化財の「鐘楼」

まるで絵に書いたような写真ですが(;^_^A
こんな建造物は個人的に時を忘れて見入ってしまいます。


観音堂には本来、白鳳期の「愛太子観音」通称を「あいたた観音」を祀っていたというが現在は宝物庫に保管されているらしぃ。

重要文化財の太子堂です。
このお堂では「常行三昧(じょうぎょうざんまい)」という、口で阿弥陀仏を唱え、心に阿弥陀仏を思いながら、休むことなく何十日も歩き巡る厳しい修業が行われた。その遺構をしては日本最古のものだそうです。



新薬師堂でです。
ここには、ウィンクしてる仏像があると某TVで取り上げられ人気を博したとか(笑)





色々と見ごたえあるお寺でした

アクセスはいいです!









2020年10月10日土曜日

生石神社-兵庫県高砂市


兵庫県高砂市阿弥陀町生石171にある、「生石(おうしこ)神社」です。
ここは、石の宝殿と呼ばれる巨大な石造物を神体としており、宮城県鹽竈神社の塩竈、鹿児島県霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の一つですって!!

ここは知る人ぞ知る強力なパワースポットだそうです!!


ちなみにアクセスはいいのですが・・・ここの駐車場・・・
真砂土なんです(;^_^A


なので、私らはその先まわっての側道みたいな所に駐車させてもらいました。(めっちゃ蚊が多かった!!)

 


参道はこちらみたいですね(;^_^A
石の宝殿は、「国の史跡」で横6.4m、高さ5.7m、奥行7.2mの巨大な石造物で500tもあるって!!
はい、ドーン!

これを掘り込んでいったみたいですね!!すんご!!
水面に浮かんでいるように見えることから「浮石」とも呼ばれているそうです。
誰が何の目的でどのように作ったかはわかっていませんが言い伝えは残ってるみたいです。
山形県にも同名の「生石神社」があるそうで、当社の分社と言われてるそうです。

「 社伝では、崇神天皇の時代、国内に疫病が流行していたとき、石の宝殿に鎮まる二神が崇神天皇の夢に表れ、「吾らを祀れば天下は泰平になる」と告げたことから、現在地に生石神社が創建されたとしている。
 石の宝殿について『播磨国風土記』の大国里の条には「原の南に作り石がある。家のような形をし、長さ二丈、広さ一丈五尺、高さも同様で、名前を大石と言う。
 伝承では、聖徳太子の時代に物部守屋が作った石とされている。」という意味の記述がある。
 聖徳太子が摂政であった時代には物部守屋はすでに死亡しており、矛盾をはらむ記述ではあるが、8世紀初期には6~7世紀頃に人の手で造られたと考えられていたことになる。風土記が一般に流布されたのは江戸時代後期からであり、それまでの石の宝殿に関する文献で風土記の内容を継承したものは見られない。
 『万葉集』巻三、生石村主真人の歌にある志都乃石室は石の宝殿のことであるとも言われるが定かではない。 石の宝殿は8世紀以前からあったことになるが、生石神社は『延喜式神名帳』や国史に掲載されておらず、『播磨国内神名帳』の「生石大神」が文献上の初見であるとされる。『峯相記』では生石神社・高御位神社の解説で「天人が石で社を作ろうとしたが、夜明けまでに押し起こすことができずに帰っていった」という内容が記されており、この時期には石の宝殿は人の手によるものではないとする伝承が生まれている。
 『播州石宝殿略縁起』では「神代の昔、大穴牟遅と少毘古那が国土経営のため出雲からこの地に至り、石の宮殿を造営しようとして一夜のうちに二丈六尺の石の宝殿を作ったが、当地の阿賀の神の反乱を受け、それを鎮圧する間に夜が明けてしまい、宮殿は横倒しのまま起こすことができなかった。
 二神は、宮殿が未完成でもここに鎮まり国土を守ることを誓った」となり、『峯相記』より具体的な神格が与えられている。
 成務天皇11年、羽後国飽海郡平田村生石(現 山形県酒田市大字生石)に当社の分社が作られた。 1579年(天正7年)、羽柴秀吉が三木合戦の折、神吉城攻略のために当神社を陣所として貸与するよう申し出たが、拒否されたために焼き討ちに逢わせた。(当時の宮司は神吉城主の弟であった。)
 焼け残った梵鐘は持ち去られ、関ヶ原の戦いの時に西軍石田三成方の勇将大谷吉継が陣鐘として使用した。敗戦の結果、徳川家康が戦利品として美濃国赤坂の安楽寺に寄進している。
 鐘の表面には、応永26年乙亥(1419年) 「播州印南郡平津庄生石権現撞鐘」と刻まれている。」(HPより引用)

浮石の隣には霊岩があり、この石を精一杯の力で押した後、自分の悪い箇所をさすれば直ると・・・
私はすかさず腰と頭皮を!相方には頭をなでるよう指示( ̄ー ̄)ニヤリ

その先には浮石を上から見下ろせる場所へ登ることができますが。この階段も彫ってるんです!!

上までのぼればこんな展望が!




もっと登ればすぐ頂上です。

これも全部岩です。
天気が良ければ姫路城も見れるとか。

ここの地質なんでしょうが、一見ぱっとみたら何も感じないと思いますが

じつはこの下の平らな部分コンクリートではないんです。
これも岩!!まるでコンクリート舗装してるかのようですね!!

ちなみに、駐車場から鳥居までにも古墳が・・・

石の棺桶ですね。これどかでも見たようなと思ったかた!
そう河童がでてくる公園、辻川山公園にもありました!!


グーグルのレビューで誰かが書いてましたが・・・人工物で何のありがたみも感じなかったとか書いてましたね。確かに人工物ですがあそこの岩盤を掘り下げてあそこまで当時作ったのはすごい。
某テレビ番組の中で高層なお坊さんが言ってました、最近の傾向は出来上がった物に対して評価する傾向がある。ここまでのプロセスを知ろうとしていない、見てもいないとか知ろうとしていない。・・・なので出来上がったものに対価(お金)を払ってるのだから自分の意にそわなかったらすぐ文句をいう。クレームをつける傾向があると。
まったくその通りだな~って感じさせるコメントであった・・・・って余談ですね

ここでの滞在時間は55分でした。

こちらの天気は「ウエザーニュース高砂市」を参考にしてください。



2020年10月3日土曜日

辻川山公園-兵庫県福崎町

兵庫県神崎郡福崎町西田原にある、「辻川山公園」です。
TV等で河童が池から出てくる様子を放送され話題となってる公園です。


そんな場所はこちら↓

アクセスもいいです。

駐車場はこんな感じ

ここの公園なんでかっぱなの?って思われる方も多いでしょうが、ここは柳田國男の生誕の地なんだそうで、その関係で妖怪がうじゃうじゃ(笑)




9時~ 17時の毎時0分・15分・30分・45分に水中から飛び出てきます。
 ※6~9月は18時まで出てきます。







↓は妖怪小屋の逆さ天狗です動画を撮ってるのですが容量の関係でUPできないので、自分の目で確かめてみてください。
9時5分~ 17時5分の毎時5分・20分・35分・50分に小屋から飛び出てきます。
 ※6~9月は18時5分まで出てきます。



↓こちらは柳田國男の生家ですね
いい雰囲気です
さすが医者の家だけあっておくどさんが座敷の方をむいてます!!

昭和49 年に國男のゆかりの地、鈴ノ森神社の傍に移築されたそうです。

ちなみに、柳田國男とは誰?って方に


民俗学の父、柳田國男がいなければ、この世に『日本昔話』も『ゲゲゲの鬼太郎』も、さらには『ポケモン』や『妖怪ウオッチ』も生まれていなかったかもしれません。それほどまでに、柳田國男が後世に与えた影響は大きいのです。

柳田以前、全国各地に残された民話や伝承は体系づけられておらず、極論すれば “噂話や世間話” の域を出ることはありませんでした。柳田國男が全国を周り、八百万の神(やおよろず=万物に宿る神々)のみならず、妖怪や物の怪にまつわる言い伝えまで “文学” に昇華させたことによって、現代を生きる私たちにも “見えざるもの” の存在を知ることができているのです(ちなみに芥川龍之介の小説『河童』も、柳田國男の影響で生まれたと本人が語っているそうです)。 有名な『遠野物語』をはじめ『妖怪談義』『日本の昔話』『一目小僧その他』など、数多くの著作を残した柳田國男ですが、彼が初めて “人ならざるもの” と “出会った” 場所こそ、ふるさとである福崎の地でした。
「福崎町環境協会HPより引用」





↓は柳田國男・松岡家の記念館です。

この石の棺桶、柳田國男とは関係ないのですが、ここらの地質に関係してるみたいです。
ちょっと離れてはいますが、高砂市に日本三奇 石乃宝殿「国史跡 生石(おうしこ)神社」ってのがあります。
そこに行けば( ̄ー ̄)ニヤリ

ここでの所要時間はゆっくり廻って45分ぐらいでした。

こちらの天気は「ウエザーニュース福崎町」を参考にしてください。