岡山県岡山市北区吉備津931にある吉備津神社です。
(ちなみに2020年1月中旬に訪問した時の記事です)
吉備津神社とは別に吉備津彦神社もございますので、お間違いなく!!
吉備津神社は言わずが如く、桃太郎のお話のもととも云われる、温羅退治のお話が伝わっている神社です。
吉備津彦の温羅退治は、昔からのこの地に伝わる神話で、桃太郎の童話は、この神話がもとになったとも言われています。
吉備津神社には矢立神事や鳴釡神事、吉備津彦の凱旋を豪勢なお膳で祝ったと言われる
春と秋の七十五膳据神事などが祭事として今に伝わっています。
ここは駐車場もありますし舗装されてます!
境内案内図の近くにこんな看板も!!
「定」ですって~神聖な場所だから木も切ったらだめなんですかね?
はい、境内入口から登って・・・
立派な仁王門もお待ちかね!って撮れてないけど(笑)
吉備津神社は1200年もの歴史があるみたいですね~
鳴釜神事って何かと思い調べてみました
「鳴釜神事」は吉備津神社の、今も行われる伝統的な神事で、その起源は温羅退治のお話。大吉備津彦命は温羅の首をはねましたが、首は大声をあげ、唸りが止むことはありませんでした。
それではと骨だけにしても唸り声は鳴り響き……やむなく吉備津神社の御竈殿(おかまでん)の釜の下に埋めてしまったそうです。しかしそれでも声は止まず、近郊の村にまで届いていたのだとか。
困り果てていた命(大吉備津彦命)の夢枕に温羅の霊が現れ、「自分の妻に釜を炊かせなさい。
世の中に何かあれば、私の釜の前に来てみよ。幸あればゆたかに、禍あれば荒々しく釜を鳴らそう。吉凶を示し、市民に懲罰を与える」と言いました。命がその通りにすると唸り声は収まり、これが鳴釜神事のはじまりと言われています。
その名の通り、釜が鳴った音の大小長短で吉凶禍福を判断します。
歴史文献にも鳴釜神事は登場しております。
ちなみに御釜殿で神事を行ってくれる女性のことを「阿曽女」(あぞめ)と言います。
元々は温羅の寵愛した女性とされ、実際に「阿曽」という地名出身の女性が代々ご奉仕しているのだそうです!
また、御釜は60年に一度鋳替えるそうなのですが、その釜も阿曽の鋳物師が作ったもの。吉備津神社ではお茶の作法のように作法が代々引き継がれており、そのおかげで、令和の時代の我々も神事を受けることができるのです。ちなみに、結果に対し、阿曽女も神職も何も言いません。神事を受けた人が自分で考えることも、作法のひとつと言えます。
第16代仁徳(にんとく)天皇が吉備国へ行幸してこられた。当時このあたりを治めていた豪族、御友別(みともわけ)は、一族を引き連れて仁徳天皇を歓待し、昔この地を統治された大吉備津彦命の功績をお伝えしたという。
その後仁徳天皇は、大吉備津彦命の霊夢を見られた。これをお告げと受け取った仁徳天皇は、大吉備津彦命の業績をたたえる神社を建て、現在の境内地に5つの社と、吉備国に72の末社を創建なさったそう。
こうして、吉備国の祖神として大吉備津彦命を崇めたのが、吉備津神社の始まりだ。
伝承は諸説あり確かな創建は不詳だが、承和14年(847年)には『続日本後紀』に名前が登場しており、この時すでに朝廷から信仰されていたことが分かる。
しっかし、桃太郎伝説の始まりといい、その首をはねでてきたのが鳴釜など、なんかよーわからんとこです。
歴史と言うのは、美化されすぎており何が真実なのかもわかりませんよね(;^_^A