2021年12月15日水曜日

楯築遺跡ー岡山県倉敷市

ぶらタモリでしてたので、岡山県倉敷市にある「楯築遺跡」に行ってみました。


 倉敷市域北東の岡山市と境を接するあたりに広がる王墓山丘陵の北端、楯築神社の境内を中心とする弥生時代後期の墳丘墓です。

楯築遺跡(たてつきいせき)は、自然地形を利用し盛り土を行って整えられて墳丘の規模は、現在知られている弥生時代の墳丘墓としては最大級らしい。

円丘部は径約50m、高さ5m。墳丘頂部には5個の巨石が立っており、墳丘斜面には円礫帯がめぐっています。

公園は右手ですが、駐車場は左にありますが・・・

未舗装なので気を付けて!!



王墓の丘史跡公園案内
 王墓の丘史跡公園は、王墓山丘陵に残された貴重な遺跡群を広域的に保存・公開するため約6.5ヘクタールの区域について整備を行ったものである。
 公演は、楯築(たてつき)地区・日畑赤井堂(ひばたあかいどう)地区・王墓山地区の三つの地区に分かれている。これらの地区には、楯築遺跡(国指定遺跡)・王墓山古墳(県指定史跡)・日畑廃寺(市指定史跡)などの史跡のほか、総数60基にものぼる古墳が残されている。
 これらは吉備地方の歴史を考えるうえで欠くことのできない重要な遺跡であり、長く後世に伝えていかなければならない。
~現地案内板より~


「楯築遺跡(たてつきいせき)

 弥生時代後期(2世紀末頃)に造られた墳丘墓。墳丘は、やや歪んだ円形を呈する円丘部とその両側に長方形の突出部をもつ特異な形をしていますが、突出部の大部分は昭和40年代に行われた住宅団地造成の際に破壊されました。消滅した突出部を含む全長は約80mと推定され、同時期の墳丘墓では全国でも最大級の大きさを誇ります。

 昭和51年から平成元年にかけて、岡山大学考古学研究室が中心となって発掘調査を実施し、遺跡の全体像があきらかとなりました。

 5個の巨大な立石がある円丘部からは、2基の埋設施設が確認されました。このうち中心主体となる埋設は、円丘中央部に掘られた長さ9mの巨大な墓壙を伴い、木棺の外側を木の板で囲んだ木棺木槨構造(もっかんもっかくこうぞう)であることがわかりました。木棺内には鉄剣1口と勾玉や管玉、ガラス製小玉などの玉類が副葬されていたほか、歯の小片2点も検出されました。また、棺の底には、総重量32kgを超える大量の水銀朱が分厚く敷き詰められていました。木棺の上方は大量の円礫で埋め戻されており、その中から特殊器台や特殊壺といった供献(きょうけん)土器をはじめ、人形(ひとがた)土製品や土製の玉類などが出土しました。また、墳丘の脇にある収納庫に納められている旋帯文石(せんたいもんせき)(国指定重要文化財)と同様の文様を持つ小形の石(弧帯分石(こたいもんせき))が意図的に割られた状態で発見されており、このふたつの石の関係が注目されます。

 南西部突出の調査では、その先端が給水塔のフェンスの下に存在していることが明らかとなり、平らな面を外側にして立てられた列石が良好な状態で検出されました。また、突出部の前面では、尾根を切断するように掘られた大溝も確認されており、墳丘墓の造営がかなり大規模なものであったことがわかります。

 楯築遺跡は、弥生時代からの古墳時代にかけての墓制の変遷を考える上で重要な遺跡であるとして、国の史跡に指定されています。」

~現地案内板より~

旋帯分石

 収納庫に納められているこの石は、かつて楯築遺跡の上に」建てられていた楯築神社の御神体で、円丘上に今も残る小さな石の祠に長らく安置されていました。石の表面には、帯が円を描きながら複数に絡み合う文様が彫り込まれており、その様子は収納庫の窓越しに見ることができます。正面には、顔と思われる表現が浮彫にされており、地元では別名「亀石」とも呼ばれています。

 この不思議な文様を持つ石は他にも類例がなかったため、その性格や制作時期については長らく謎のままでした。しかし、岡山大学が実施した楯築遺跡の発掘調査で旋帯分石と同じ文様をもつ小形の石(弧帯分石(こたいもんせき))が出土したことから、この石は、楯築遺跡と同じ弥生時代の終わり頃に作られたものであることが明らかとなりました。

~現地案内板より~




こちらの天気は「ウエザーニュース岡山県倉敷市」を参考にしてください。




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